読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

かっちゃんの日記

 -見て、聴いて、楽しかったこと、嬉しかったことの覚え書きです

5月 国立能楽堂 普及公演|呼声・清経

国立能楽堂 五月 普及公演(2017年5月13日)
・解説・能楽あんない|世阿弥が「清経」に込めたもの-天野文雄(約30分)
狂言大蔵流】|呼声(約15分)※終了後、休憩20分
・能【観世流】|清経 替之型(約70分)

f:id:nkmk5:20170514232127j:plain

国立能楽堂の案内ちらしをお借りしました。
 紅地有卦舟模様唐織(江戸時代・十九世紀・国立能楽堂蔵)

この日の東京は一日中、雨降りでした。国立能楽堂の中庭は、青々とした草木が目にすがすがしく、敷石や苔は雨でしっとりとして、とても心地よい空間でした。写真を撮っておられる方も多かったです。

さて、まず狂言は「呼声(よびごえ)」です。主人と次郎冠者が、無断で旅に出た太郎冠者を叱りつけようと家を訪ねます。主人は気づかれまいと声色を使って太郎冠者に呼びかけますが、声で勘付かれてしまいます。また太郎冠者も留守を預かっている人のふりをして返事をするのですが、これまた声で主人に勘付かれてしまいます。双方バレバレです。
それでも平家節、小歌節、踊り節と手法と替えて、主人と次郎冠者は呼びかけ、太郎冠者は居留守の返事を繰り返します。最後の踊り節では、なんだか双方ともに楽しくなってきて、興に乗って「お目にかかろ」「留守でござる」と謡って踊っているうちに、鉢合わせしてしまうところで終わります。この「しまいにはなんだか楽しくなってきて」というのは狂言によくありますよね。そんなあほな展開があるかいなと思いつつも、でもなんか気持ちわかるわ~とも思ったりもします。楽しかったな~。

続いてお能は「清経」です。源氏に追われ、妻を残して都を出た平清経(シテ)は、豊前の国にて入水し自ら命を絶ちました。清経に仕えていた淡津三郎(ワキ)は遺髪を持って、都にいる清経の妻(ツレ)に届けますが、見るたびにつらくなると言って、手元に置くことを拒みました。
そして、その夜、清経の霊が妻の元に現れます。どうして遺髪を受け取ってくれないのかと問う清経に対して、妻はどうして自分を残して一人で死んでしまったのかと責めます。清経は豊前の国にある宇佐八幡宮に参詣したときに聞いた「祈ってもどうにもならない」という神詠に心を打ち砕かれて、自ら死を選んだことを語ります。一度は修羅道にて苦しみながらも、最期に唱えた念仏のおかげで成仏することができたというお話です。
全体を通してずっと緊張感はあるのですが、詞章の流れに心地よく身を委ねるような感覚もあり、最後の清経の修羅から成仏への舞いにはぐっと引き込まれました。まだまだ勉強不足で、詞章を全て聞き取れるわけではないのですが、ゆっくりと読み返してみると、語り言葉の運びが美しいなぁと改めて感じました。

<メモ>今月も国立能楽堂の収蔵資料展が開催中で、後期(5月2日~25日)は能面・能装束展でした。上記のちらしのモチーフとなっている「紅地有卦舟模様唐織」も展示がありました。わーい!解説によると祝い事のために贈られた唐織で、「ふ(富)」が頭に付く、舟、縁雪、筆、文、藤袴、深見草、福寿草が織り表されているそうです。筆のあしらい方が恰好いい!
国立能楽堂の資料展示室はこじんまりしたスペースで、展示数もそれほど多くないのですが、眼福な展示を見せていただけるのでお勧めです。ほくほく。

<公式サイトへのリンク>
国立能楽堂 2017年5月普及公演