かっちゃんの日記

 -見て、聴いて、楽しかったこと、嬉しかったことの覚え書きです

2018年3月 国立能楽堂 普及公演|墨塗・船橋

国立能楽堂 三月 普及公演(2018年3月10日)
・解説・能楽あんない|恋は罪か 小田幸子(約30分)
狂言和泉流】|墨塗(すみぬり)(約25分)※終了後、休憩20分
・能【宝生流】|船橋(約75分)

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国立能楽堂の案内ちらしをお借りしました。
 薄萌黄地糸巻桜紅葉模様肩衣(明治時代・十九世紀・国立能楽堂蔵)

 

国立能楽堂の普及公演に行ってきました。少し早めに着いたので、資料展示室や中庭を見学したりしていたのですが、来館記念スタンプが新しくなっていることを発見!絵柄は3種類で以前と同じなのですが、スタンプ台を使わずににきれいに押せる仕様に復活していました。あまり目立たないところですが、こういったサービス向上はとても嬉しいな~。ありがとうございます!早速はりきって押しました!

さて、まずは狂言の「墨塗」からです。
長い間、都に滞在していた大名が自分の国に帰ることになり、太郎冠者を伴って、親しくなった女のところに別れを告げに向かいます。女は泣きながら恨み事を言い、大名も一緒になって泣きだしてしまうのですが、太郎冠者は、女が水入れの水を目につけて嘘泣きをしていることに気づきます。太郎冠者は大名にそのことを伝えますが信じてもらえないので、水入れの水を墨と取り換えたところ、女の目の下が墨で黒くなってしまい、大名も嘘泣きだったことを知ります。怒った大名は一計を案じ、別れの形見にといって手鏡を女に渡します。手鏡で自分の顔を見た女は自分が謀られたことに気づき、これまた怒って大名と太郎冠者を追いかけまわし、顔に墨を塗り付けるというお話です。

大名の役は井上松次郎さんです。登場されて、第一声が放たれたときに、観客の皆が舞台にぐっと集中するような感がありとても良いお声でした。自分では別れを切り出せない気の良い大名と、代わりに面倒な段取りを任されるまじめな太郎冠者の表情の違いが何とも可笑しかったです。


続いてお能船橋です。
舞台は上野国 佐野の渡し(今の群馬県高崎市)、旅の途中の山伏のところに、若い男女がやってきて船橋を作りたいと告げます。船橋とは、川を渡るために、水面に船を並べて、その上に板を乗せた簡易的な橋のことを指します。山伏がその理由を尋ねると、「昔この辺りに住んでいた男女が船橋を渡って逢瀬をしていたが、親が反対をして船橋の板を取り外してしまい、そうとは知らずに橋を渡ろうとして川に落ちて死んでしまった。実はそれは私たちのことで、今もなお苦しみの中にあるため弔ってほしい」と答え姿を消してしまいます。

山伏が付近に住む人にこのことを話すと、二人を弔うように勧められます。そこで山伏が回向を始めたところ女の霊が現れて、おかげで成仏できましたとお礼を伝えます。続いて男の霊が現れ、まだ成仏できないと言うので、山伏は執心を振り捨てるように告げます。男は懺悔の告白をするかのように橋から落ちて命を落としたときのことを語り、水の中に沈んでその執心で苦しんでいたが、山伏の回向のおかげで「浮かめる身」になって、成仏できたと言って消えていくのでした。

話の流れとしてはこんな感じなのですが、重要な要素を端折って書いておりまして、この作品は万葉集の歌が題材となっています。お能では元歌から少し変わり「東路の佐野の船橋とりはなし、親し離くれば妹に逢はぬかも」となるのですが、この歌やその一節がキーフレーズとなって何度か登場します。

動きが多いお能ではないですが、万葉集の歌を題材とする詞章の面白さや、親の反対で結ばれることなく、死んだ後も苦しみ続ける男と女が、同時にあるいは掛け合いのように互いの心情を謡い、最後に山伏の「法味功力」によって二人が成仏する場面が心に残りました。
「執心の鬼となつて、共に三途の川橋の、橋柱に立てられて、悪龍の気色に変はり、程なく生死娑婆の猛執、邪淫の悪鬼となつて、我と身を責め苦患に沈むを行者の法味功力により、真如発心の玉橋の、真如発心の玉橋の、浮かめる身とぞなりにける、浮かめる身とぞなりにける」


<メモ>
今月のちらしの模様がすごく好きです!プログラムの解説によると、小さめの狂言肩衣だそうで、春にも秋にも使えるように桜と紅葉という季節の異なる模様が2つ入っているそうです。ぜひ実物を見てみたいな~。いつか企画展などで展示していただけることを願っています!

<公式サイトへのリンク>
国立能楽堂 2018年3月普及公演