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かっちゃんの日記

 -見て、聴いて、楽しかったこと、嬉しかったことの覚え書きです

3月 国立能楽堂 普及公演|濯ぎ川・昭君

狂言

国立能楽堂 三月 普及公演(2017年3月11日)
・解説・能楽あんない|鏡の虚実―能「昭君」の機巧(からくり)大谷節子(約30分)
狂言大蔵流】|濯ぎ川(約30分)※終了後、休憩20分
・能【観世流】|昭君(約70分)

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国立能楽堂の案内ちらしをお借りしました。
 茶納戸段毘沙門亀甲繋獅子丸模様厚板(江戸時代・十八世紀・国立能楽堂蔵)

 「濯ぎ川」はフランスのファルス(笑劇)を元にして作られ、昭和28年に初演された新しい狂言です。入り婿の男が、嫁と姑にあれやこれやと用事を言いつけられて我慢も限界になり、「紙に書いた仕事以外はしない!」という約束を取り付けます。川に流されそうになった嫁を助けてやってほしいと頼む姑に対して「そんなこと書いてないからやらない~」と、日頃の鬱憤をいま晴らそうぞとばかりに言い張りますが、最後は嫁に責められ、姑に紙を破かれて、やりこめられてしまうというお話です。最後の姑(今回は茂山あきらさん)の動きが可笑しくて「やっぱりうまくいきませんでした。おしまい!」と語っているようでした。

続いてお能は「昭君」です。舞台の正面に柳の木が置かれ、そこに鏡が立てかけられます。白桃、王母の老夫婦が鏡を見る、その娘である昭君、更に昭君の夫である呼韓邪單于が鏡の中に現れるという状況を、鏡を囲むようにシテ2人とツレ2人が演じる構成が面白いなと思いました。流れるような最後の詞章もリズムが心地良く印象に残りました。
「ただ昭君の黛は、ただ昭君の黛は、柳の色に異ならず、罪を顕す浄玻璃は、それも隠れはよもあらじ、花かと見えて曇る日は、上の空なる物思ひ、影もほのかに三日月の、曇らぬ人の心こそ、誠を映す鏡なれ、誠を映す鏡なれ」

<公式サイトへのリンク>
2017年3月普及公演 濯ぎ川・昭君

2月 国立劇場 文楽公演|平家女護島

文楽

国立劇場 第一九八回文楽公演 平成二十九年二月より(2月4日~20日)

近松名作集
<第一部>
近松門左衛門=作
 平家女護島
 六波羅の段〈約35分〉※終了後、休憩30分
 鬼界が島の段〈約1時間5分〉※終了後、休憩10分
 舟路の道行より敷名の浦の段〈約34分〉

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国立劇場の案内ちらしをお借りしました
 左「平家女護島」俊寛僧都、右「冥途の飛脚」梅川(いずれも撮影:青木信二)

 

2月の文楽国立劇場開場50周年記念の公演で「近松名作集」と銘打たれ、第一部が平家女護島、第二部が曾根崎心中、第三部が冥途の飛脚という演目でした。今回は、このうち、第一部の平家女護島に行ってきました。2017年最初の文楽です。嬉しい!

六波羅の段>平清盛が栄華を極めていた頃、平家を滅亡させようとした鹿ケ谷の陰謀の罪で、俊寛僧都、平判官康頼、丹波少将成経が鬼界が島に流されます。清盛の屋敷である六波羅に残された俊寛の妻あづまやは、清盛から誘われますが、夫に操を立てて誘いを断り自害します。それを知った俊寛に仕える有王丸が六波羅に討ち入りますが、能登守教経に、ここで命を落とすのではなく、主人の俊寛のことを考えろと言われ立ち去ります。

<鬼界が島の段>鬼界が島での俊寛の様相は3年にも及ぶ孤島での厳しい暮らしぶりをうかがわせますが、再会した康頼から、成経が千鳥という漁師の娘と恋仲になったことを告げられ、皆でささやかな祝言をあげます。

そこへ使者の瀬尾太郎兼康と丹左衛門基康を乗せた都からの赦免船が着き、康頼と成経は赦免、俊寛は能登守教経の計らいで備前の国まで戻れることになったと告げます。しかし成経と夫婦になった千鳥が一緒に船に乗ることを瀬尾に拒まれます。千鳥の「武士は、もののあはれ知るというは偽りよ、虚言よ。鬼界が島に鬼はなく、鬼は都にありけるぞや」から続くクドキがいじらしくて泣きそうになります。千鳥ちゃんの言う通りや。

さらに瀬尾はあづまやが自害したことを明かし、それを聞いた俊寛は落胆して、自分は島に残るので千鳥を乗せてやってほしいと頼みます。瀬尾はそれも拒んだため、俊寛は瀬尾を切り殺して、丹左衛門に千鳥を船に乗せるように頼みます。そして康頼、成経、千鳥を乗せた船は鬼界が島を離れ、俊寛はつまづき、転びながら、岸壁にかけ登って遠ざかる船をいつまでも見送ります。

<舟路の道行より敷名の浦の段>その後、船は敷名の浦に到着、そこで有王丸が待っていましたが、俊寛が乗っていないことがわかり、落胆して自害しようとしたところを千鳥に止められます。そして、清盛と後白河法皇が乗る御座船が敷名の浦に立ち寄ることがわかり、丹左衛門は怪しまれないように千鳥を船から降ろして有王丸に預けます。

法皇が源氏に加担することを恐れた清盛は、法皇を海に投げ込みますが、千鳥が法皇を助けて有王丸に託します。これに怒った清盛は千鳥を殺しますが、千鳥の怨念が清盛の頭に取り付いて清盛は都に逃げ帰ります。

つらい、つらいお話です。心がキューッと苦しくなる場面もありました。
一人島に残ることを決めた俊寛。あづまやはもうこの世にいない。
「アアこれ、我この島に留まれば、五穀に離れし餓鬼道に、今現在の修羅道、硫黄の燃ゆるは地獄道三悪道をこの世で果たし、後生を助けてくれぬか。俊寛が乗るは弘誓の船、浮世の船には望みなし。サア乗ってくれ、早や乗れ」

鬼界が島から船が出発するときに、千鳥が船から精一杯身を乗り出して、一生懸命に俊寛に手を振るのですが、もうそのしぐさが、いじらしくて、せつなくてぐっときました。(鬼界の島の段の千鳥は蓑助さんでした)
「名残惜しや、さらばや」「互いに未来で未来で」

<メモ>
私が行った日は、国立劇場の前庭の梅が咲き始めていた頃で、紅と白のかわいらしい花を楽しむことができました。全部で6種類の梅が植えられているそうです。すぐそこまで春が近づいてきましたね~。

<公式サイトへのリンク>
国立劇場 2017年2月文楽公演

2月 国立能楽堂 企画公演|謡講・八島

国立能楽堂 二月 企画公演(2017年2月18日)
・おはなし|庶民のたのしみ-謡講(うたいこう)- 井上裕久
・独吟(京観世の節・二段下ゲで謡う)盛久 サシ・クセ
・独吟 五目謡
・謡講形式の素謡|熊野(ゆや) (以上、約45分)※終了後、休憩20分
・能【喜多流】|八島 弓流 奈須与市語(約105分)

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国立能楽堂の案内ちらしをお借りしました。
 上村松園「焔」(大正七年・東京国立博物館蔵)

 

2月のちらしはいつもと趣が違い、月間特集「近代日本画と能」というテーマにちなみ、お能の「葵上」がモチーフとなった絵画が取り上げられています。「源氏物語」の光源氏の正妻である葵の上に取り憑いた六条御息所の生霊が描かれているのですが、着物が白地に藤と蜘蛛の巣の柄で、それがまた怖さと凄みを増幅させています。

さて今回はこの「葵上」がかかる普及公演ではなく、企画公演に行ってきました。
前半は謡講(うたいこう)のおはなしから始まりました。謡講は能を謡だけで表現する素謡(すうたい)を楽しむ会として、江戸時代以降の特に京都で盛んに行われていたそうです。能舞台ではなくお座敷のような場所で、謡い手が聴衆から見えないように仕切り、聴衆は聴くことに集中して物語の情景を思い浮かべます。また「京観世」と呼ばれる独特の謡い方にも特徴があります。この謡講の再現に取り組まれている井上裕久さん(シテ方観世流)がとても楽しく解説をしてくださり、その後に実際に、京観世の謡い方での「盛久」、しりとり形式でどんどん違う曲につないでいく「五目謡」(かなり高度な技!)、そして謡講形式の素謡「熊野」と続きました。
また「今日は謡講やっとるよ~」という目印に軒先に提灯がかかること(国立能楽堂のロビーにもかかっていました)、参加する人はお酒を持っていき、それを出樽(しゅったる)と呼んでいたこと、謡い終わって今のは良かったと感じたら小さな声で「よっ」と言うことなど、周辺のお話もとても興味深かったです。謡が生活の中にあり、身近な存在やったんやな~。京都で開催されているそうなので、いちど行ってみたいです。

後半はお能の「八島」です。弓流、奈須与市語の小書付きで、間狂言三宅右近さんが迫真の語りと動きでした。その後、後シテの義経の亡霊が現れ、源平の激しい戦いのさまを語ります。戦いには勝ったとはいえ、失ったものも大きく、どこかはかなくて憂いを感じさせるお話でした。
今回は「蝋燭の灯りによる」ということで、客席は手元資料が読めないほど真っ暗になり、座席の字幕表示もありません。詞章を暗記できているわけではなく、聞き分けられない言葉もたくさんありました。ただ、詞章を目で追わず、耳だけでぐっと集中して聴くことで、リズムや抑揚のある音として言葉がすっと入ってくるので、いつもより深く鋭く感じられるように思いました。まだ初心者の私には難しいところもありましたが、新しい気づきがあり、いま体験できて良かったかなと思います。何事も行ってみよう、やってみよう!(でも予習は大事!)

<公式サイトへのリンク>
2017年2月企画公演  蝋燭の灯りによる|謡講・八島

 

 

1月 国立能楽堂 普及公演|寝音曲・巻絹

狂言

国立能楽堂 一月 普及公演(2017年1月14日)
・解説・能楽あんない|和歌の徳と神がかりの巫女 梅内美華子(約30分)
狂言和泉流】|寝音曲(約25分)※終了後、休憩20分
・能【金剛流】|巻絹(約75分)

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国立能楽堂の案内ちらしをお借りしました。
 白地七宝繋唐松檜扇模様唐織(江戸時代・十八~十九世紀・国立能楽堂蔵)

 

体調も復活して、2017年最初の観劇です。ありがたい!嬉しい!

狂言の「寝音曲」は、太郎冠者が謡が上手なことを知った主人が、太郎冠者に謡わせようとするのですが、気が進まない太郎冠者は、酒が飲めないと謡えない、嫁の膝枕で寝ていないと謡えないと、なんとかかわそうとします。結局、酒も膝枕(主人のですが)も用意されてしまい、仕方なく寝ながら謡うのですが、主人は「本当は座っていても、立っていても謡えるんじゃないの?」とあれやこれやと促します。起こされるとわざと声をかすれさせて、しのぐのですが、何度も繰り返すうちに、うっかり間違えたのか、意外に興に乗ってきたのか、立ち上がって、しかも舞いながら見事に謡い上げ、「ほれ、やっぱり謡えるやん!」
どうやってこんな話を思いつくんやろか。楽しく初笑いできました!

続いて「巻絹」の舞台は冬梅が咲く頃の熊野三山です。天皇の命を受けた臣下の指示で、都から熊野大社へ奉納する巻絹を運ぶ男が、途中で音無天神に立ち寄り、心の中で和歌を詠み捧げます。そのことで熊野大社への到着が遅れたため、臣下に縄で縛られてしまうのですが、そこへ音無天神が憑依した巫女が現れて、男の徳を語り、縄を解くように言います。
男が和歌を詠んだ証拠を示すために、まず男が上の句「音無にかつ咲き初むる梅の花」と詠み、巫女が下の句「匂はざりせば誰か知るべき」と続けたところ、臣下は男の縄を解き、巫女に祝詞をあげるように告げます。巫女は神楽を舞い上げ、やがて憑依した音無天神は去っていくというお話です。
終盤の神楽は高揚感があり心地良くなりました。静の心地良さというよりは、動の心地良さといった感じでしょうか。もう少し長く続いたら、客席から一緒に舞う人が出てくるのではなかろうかと思いました。

<メモ>
国立能楽堂の1月のちらしは、「白地七宝繋唐松檜扇模様唐織」がモチーフとなっています。さまざまな色の唐松が重ねられているのですが、その色の組合せ方がとても好きです。(特に薄い色の重ね方が可憐です)ちらしに掲載された唐織の企画展をしてほしいなー。

<公式サイトへのリンク>
2017年1月普及公演 寝音曲・巻絹

12月はお休みでした

少し前から体調を崩し、現在ゆっくり回復中です。
12月に行きたいと思っていた公演の備忘録を書いておこうと思います。
大事なく過ごせる日常をしみじみとありがたく思う毎日です。ごはんも美味しい!
来年も無理はせず、でも小気味よく行動したいと思います!

 

国立能楽堂 十二月 普及公演(2016年12月10日)
・解説・能楽あんない|乱世の能作者・観世信光 松岡心平
狂言大蔵流】|縄綯(なわない)
・能【観世流】|胡蝶

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国立能楽堂の案内ちらしをお借りしました。
 「紅地花入蜀江模様厚板」より

<公式サイトへのリンク>
国立能楽堂 2016年 12月普及公演 縄綯・胡蝶

 

国立劇場開場50周年記念 12月文楽公演(12月3日~19日)

通し狂言 仮名手本忠臣蔵

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国立劇場の案内ちらしをお借りしました
 左「仮名手本忠臣蔵」大星由良助
 右「仮名手本忠臣蔵」三段目 殿中刃傷の段(いずれも撮影:青木信二)

<公式サイトへのリンク>
12月文楽公演『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』

11月 国立能楽堂 普及公演|二人袴・三笑

狂言

国立能楽堂 十一月 普及公演(2016年11月12日)
・解説・能楽あんない|仙境への憧憬―能「三笑」を巡って 林望(約30分)
狂言大蔵流】|二人袴(約40分)※終了後、休憩20分
・能【観世流】|三笑(約60分)

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国立能楽堂の案内ちらしをお借りしました。
 白地青海波紅葉模様摺箔(江戸時代・十八世紀・国立能楽堂蔵)

「二人袴(ふたりばかま)」は、息子と付き添いの父親が、息子のお嫁さんの父親(舅)に初めて会いに行く聟(むこ)入りの様子が繰り広げられます。話の流れが明解で、必死で頑張る息子と父親の動きも理屈なく楽しめました。

「三笑」は、絵画や水墨画のテーマにもなることも多い「虎渓三笑図」の世界が描かれています。中国の晋の時代、慧遠、陶淵明、陸修静の3賢者が、慧遠が修行している廬山の麓にて、酒を酌み交わし、三人で舞い、再会を喜んで大いに楽しみます。気心の知れた、きっと皆まで言わなくてもわかる友達と、お酒を飲みながら時間が経つのも忘れて話をするのは、いつの時代でも楽しそう~。
その後、慧遠は2人を送っていく帰り道に、修行のためここからは出ないと言っていた虎渓をうっかり出てしまうのですが、そこで3人が笑い合う場面で終わります。「やってもた~、今のナシ!」、「まぁしょうがないな、見逃したるわ」って感じでしょうか。
3賢者の相舞は、必然的に密な間隔で舞うので緊張感もあり、それぞれ少しずつ動きが違うのにも見入ってしまいました。また後半は笛がずっと鳴っている感じで、聴き応えがあります。
また仏教(慧遠)と儒教陶淵明)と道教 (陸修静)の3賢者が集っているという背景について知ることができ、「虎渓三笑図」を見るときの新しい楽しみもできました。自分の体験がきっかけになって、頭の中にある断片がつながって、それぞれの理解がより深まるのは、小っこいことでも嬉しいです。

<メモ>
国立能楽堂の中には食堂がありますが、堂内に何箇所か設けられている休憩スペースで、開演前や休憩中に軽い食事を取られている方も多いです。ただ大きな劇場での歌舞伎や文楽の公演のように、皆で幕間弁当を楽しむような場の雰囲気ではありません。私も時々、おにぎりやサンドイッチを持ち込むことがありますが、少し早めに到着して、人が少ない時にいただいて、その後、ゆっくり資料展示室や中庭を見学するのが、わりあい落ち着いて良いかなと思います。

<公式サイトへのリンク>
11月普及公演 二人袴・三笑

10月 国立能楽堂 普及公演|菊の花・熊坂

狂言

国立能楽堂 十月 普及公演(2016年10月8日)
・解説・能楽あんない|盗賊外伝-「熊坂」と街道の伝承 田中貴子(約30分)
狂言和泉流】|菊の花(約20分)※終了後、休憩20分
・能【喜多流】|熊坂(約70分)

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国立能楽堂の案内ちらしをお借りしました。
 白地菊花模様袷法被(江戸時代・十八世紀・国立能楽堂蔵)

「菊の花」は、太郎冠者が京の都で遭遇した出来事を主人に語るお話です。北野の天神さんで見た雀とカラスの鳴き声をまねする場面や、祇園参り行く身分の高い御一行様に合流し、最後にそこを立ち去るときに捕まったくだりを語る場面やそのしぐさは、くすっと可笑しかったけど、全体の話としては高位の人が下位の人を小馬鹿していてちょびっと複雑な気持ちも残ります。でも太郎冠者はそういうことを超越していて、あるいは上手を行っていて、なんやかんやでけっこう楽しまはったと解釈すればよいのかな~?

「熊坂」は、盗賊の熊坂長範が主人公です。前場では、名を伏せて僧の姿(前シテ)となって、後場では、亡霊(後シテ)となって薙刀を持って現れ、牛若丸に返り討ちにあって命を落とした様子を旅の僧(ワキ)に語り、成仏できるように回向を頼みます。薙刀を振るって、戦いを語る場面は緊張感がありますが、最後に薙刀を投げ捨て、素手で戦った末に討たれ、力なくそっと消えていくところがなんとも寂しげで印象的でした。
シテ「次第次第に重手は負ひぬ」
地謡「次第次第に重手は負ひぬ、猛き心力も弱り、弱り行きて」
シテ「この松が根の」
地謡「苔の露霜と、消えし昔の物語、末の世助け賜び給へと、木綿付けも告げ渡る、夜も白々と赤坂の、松陰に隠れけり、松陰にこそは隠れけり」

<メモ>
国立能楽堂の建物がとても好きです。設計は大江宏で1983年の竣工。能舞台だけでなく、玄関や広間の天井、廊下の壁もほんまにきれいで、見どころがたくさんです。特にこの日は雨が降っていたので、中庭の苔がしっとりとしてなんとも落ち着きました。萩の花も咲いていて、すっかり秋やな~。

<公式サイトへのリンク>
国立能楽堂 2016年 10月普及公演 菊の花・熊坂